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大阪高等裁判所 昭和24年(を)2172号 判決 1949年12月14日

被告人

北村宗一

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪地方裁判所堺支部に差戻す。

理由

弁護人佐々木康雄同布井要一同三木今二の控訴趣意第二点について。

(イ)原判決が第一事実の詐欺その他不正の行爲として認定した点は所論のとおりであつて、そのうちいわゆる虚僞答弁というのは判文上その内容を捕捉し難いが、挙示の証拠と比照すれば被告人が昭和二十三年六月所轄税務署から所得調査にきた大藏事務官竹下定邦の質問に対し昭和二十二年度の所得額を眞実に比し遙かに下廻る七十万円乃至七十五万円と述べたことを指称するものと解される。しかしいやしくも税務署員の質問に対し所得額を眞実に比し寡額に陳述した以上虚僞答弁というに缺くるところなく所得税法第六十九條にいわゆる不正行爲と認むべきこと当然である。しかも原審における証人竹下定邦の証言に徴し窺われるがごとく被告人において眞実を陳述するにおいては更に高額の所得額査定をみるに至るべき関係にある以上脱税の結果との間に困果関係なきものとなすを得ない。もとより所得税法第四十六條第二項により確定申告をしない者に対し政府が独自の立場で所得額を決定する必要上職権調査をするため税務署員が答弁を要求した場合、これに対する答弁を必ずしも直ちに正当なものとして採用するとは限らないであろうが、すくなくとも納税義務者が所得額以下の答えをすることは往々あり得るという点においてあるいはその答弁、態度等からみて職權調査の心証形成上相当影響を及ぼすことは疑ないところであるからいずれの点からするも職権調査であることを理由として虚僞答弁との間における因果関係を否定しようとする所論はあたらない。

同第三点について。

(ロ)しかし脱税犯成立の主観的要件たる脱税の認識については單に正当所得額に対する正当課税額に比し寡少税額の賦課を受ける認識あるをもつて十分であり、必ずしも正確な所得額や脱税額の認識を要するものではないと解するのが相当であつて、すでにその誤認あるものと解すべきこと第二点で説示したとおりであるから所論前半はその理由がない。

(ハ)つぎに被告人に商品仕入先たる田中亀太郞に対する所論百七十一万円の支出は仕入高に加算さるべき性質のものでありひいて当然所得額より控除すべき旨の主張については仕入高に加算を相当とする資料がないから採用する理由がない。しかしある支出が所得から控除し得ないため課税対象たるを免れ得ないからといつてこれをもつて直ちに脱税責任額に影響なきものと断ずるを得ない。

けだし納税という公法上の義務の存否と所得税法第六十九條第一項所定の刑罰たるいわゆる税法犯の成否とは明かに区別すべきであり、納税義務のないところに脱税犯の成立しないのはいうまでもないが納税義務を怠つたからといつて直ちに脱税犯の成立あるものと速断するを許さない。從つて右百七十一万円に対應する税額についても脱税犯が成立するというがためにはこの部分についても脱税の認識があつたかどうかについて審理を要すること勿論であり、このためには被告人の陳弁するところの外に右百七十一万円授受に関する当事者の眞意、名目、日時の眞相について愼重な檢討を要することいふまでもないが、これ等の点に関する原審証人中山靜雄の供述記載は甚だ要領を得難いし、その他の全資料によつてもとうてい脱税意圖の有無を判定するに足りない。從つて本件審理の現状をもつてしてはいまだ脱税責任額が幾許に達するかを判定するに由がないに拘らず、これを納税義務全額に及ぶものとしたのは事実誤認の疑あるものというの外なく、右は判決に影響を及ぼすこと明らかであるからこの点に関する論旨は理由ありといわねばならぬ。

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